揺らぎと確信・・・エニアグラムタイプ6の中心的特性
エニアグラムは教育やコーチングに携わる人が学習することでそれなりの成果を挙げる事のできるツールであるが、多くの人が初級、中級レベルで探求が止まっているようである。
今、求められているのは次の扉の開き方である。
そこに至る最初のスタップとして日本人に多いと言われているタイプ6について少し触れてみたい。
日本人に多いと言われるタイプ6の性格特性は、振り子のように揺れ動く
イメージよって表される。
タイプ6に限らず生きている限り、誰にでも迷う時期は訪れる。
とはいえタイプ6の揺らぎは一般論に回収するには惜しい特性である。
すべてのタイプの中でタイプ6は自身の内面で起きている振幅に対して
最も敏感なタイプである。
彼らはしばしば自分自身に問いかける。
「これでよかったのだろうか?」
「でも・・・やっぱり・・・。別の選択を考えておいた方が・・・」
「もしこのプランがうまくいかなかったらどうすればいいだろう?」
タイプ6はしばしば誰にでも起きがちなこうした振幅を過剰なまでに意識する。
彼らが内的世界への旅をスタートするのはしばしばこうした迷いを何とか解決したいという欲求と関連している。
時には彼らは内的探求に疲れ、揺るぎない確証を得るために自身が信頼し得る組織、信念体系、宗教的表象、システム、権威といったものに頼りたい欲求に駆られるかもしれない。
信頼に値する何か、あるいは何かとの出会いを通して揺るぎない自己確信を手に入れたら彼らは自分の旅は終わったと感じるかもしれない。
しかしながら常に変転を繰り返すダイナミックな現象の世界で長期に渡って安定を保証してくれる何かに巡り合う事は困難な事である。
彼らは、安定を見つけるために再度自分自身と向き合わざるを得ない。
そして何かがきっかけとなってある日、何かを確信する瞬間が訪れるかもしれない。
タイプ6に限らず揺るぎない確信はしばしば私たちを訪れる。
「この人は絶対に自分を裏切らない」
「この道を歩み続ける限り自分は絶対後悔しない」
「いい流れがきている」
それがやって来た時に、問われるのは「それ」はどこを通してやってきたかである。
三つの中枢(センター)
もしかしてその感覚は肚を通してやってきたいわゆる
「腑に落ちる」感じかもしれない。
あるいはハートでキャッチした揺るぎない感覚かもしれない。
あるいはそれは肚の感覚ともハートの感覚とも異なる`洞察`としてやってくるかもしれない。
自己観察に慣れた人なら同じ確信でも肚を通してやってきた場合とハートでキャッチしたもの、さらに肚にもハートにも依拠しない洞察を明確に区別できる可能性がある。
エニアグラムを学習した人の多くが十分に理解しきれないのは、
三つの中枢(本能、感情、知性)という考え方である。
この考え方はグルジェフの思想から来た者である事は明らかだが、現代エニアグラムの実践者でグルジェフにまで遡ってタイプ論を研究している人は稀少である。
エニアグラムの学習者が、初級あるいは中級のレベルで探求の途上で足踏みしてしまうのはそのためもあるように思われる。
とりわけ統合の方向への移動はこの三つのセンターと不可分に結びついている。
三つのセンターは、エニアグラムによって示される統合の方向とどのように関わって来るのだろうか?
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